徳島エンゲル楽団Q&A

徳島エンゲル楽団について、一問一答形式で説明します。色の違う文字をクリックすると関連情報のリンクに移動します。質問事項があれば、お気軽に「掲示板」への書き込みまたは「お問い合わせ」を使ってお知らせください。徳島エンゲル楽団のブログへのコメントも歓迎します。

Q 楽団名の「エンゲル」とは何ですか?
A パウル・エンゲルさんというドイツ人の名前です。インターネットで検索するとよく目にする「エンゲル係数」とは関係ありません。エンゲルさんは、元は上海工部局管弦楽団のバイオリン奏者でしたが、第一次世界大戦時に青島での日本軍との戦いで捕虜となり、香川県の丸亀および徳島県の板東俘虜収容所で俘虜として生活しました。その間、俘虜仲間と作った楽団「エンゲルオーケストラ」の指揮者として、またバイオリン奏者として数多くの演奏会を行いました。また、徳島の青年たちの要望に応えて西洋音楽の演奏を指導し、徳島初(日本全国でも最初期)の市民オーケストラである「徳島エンゲル楽団」の設立をもたらしました。


Q 「エンゲルオーケストラ」と「エンゲル楽団」は同じ楽団ですか?

A 「オーケストラ」の和訳が「楽団」なので、英語やドイツ語で表記すると同じ名前になりますが、このホームページおよび徳島エンゲル楽団のブログでは、「エンゲルオーケストラ」はドイツ兵俘虜のオーケストラ、「エンゲル楽団」は日本人のオーケストラを示す名前として使い分けています。
 エンゲルさんは、丸亀収容所でエンゲルオーケストラを結成し、板東に移ってからも数多くの演奏会を開きました。単に「エンゲルオーケストラ」という場合は、丸亀から板東まで続いたこのドイツ兵俘虜の楽団のことを指します。一方、エンゲルさんの指導によって徳島の若者たちが作ったオーケストラも、先生の名前を楽団名に使いました。これらの2つを区別するために、ドイツ兵俘虜によるオーケストラを「エンゲルオーケストラ」、徳島の青年たちが作ったオーケストラを「エンゲル楽団」または「徳島エンゲル楽団」と呼ぶことにしました。単に「エンゲル楽団」では、エンゲル氏が板東に移った後に徳島で指導した市民楽団であることがわかりにくいため、「徳島エンゲル楽団」という名前で統一的に表記することにしました。
 なお、現在演奏活動を行っている徳島エンゲル楽団は、当時の徳島エンゲル楽団を記念して2000年から演奏活動を始めた楽団で、当時の楽団が今まで続いているわけではありません。これらを区別する必要が生じたときは、「大正の徳島エンゲル楽団」「平成の徳島エンゲル楽団」などのように書いたりしています。徳島新聞2012年11月の連載記事『移動編集局:徳島市西富田・東富田』の第3回で、徳島エンゲル楽団が昭和を越えて平成の現代によみがえった経緯が紹介されています。

Q エンゲル・松江記念市民音楽祭とは?
A 戦時中に、敵国の捕虜が音楽教室を開いてオーケストラを作れるまで指導できたのは、当時の板東俘虜収容所の松江豊寿所長が「武士の情け」の精神で俘虜に対して最大限の自由な活動を認める寛大な方針を貫いたことが大きく影響しています。この奇蹟のような出来事を記念して、エンゲル氏と松江所長を顕彰するために開催される演奏会です。時々、島根県の松江市でのイベントであるという誤解を生じることがありますが、人名なので間違わないようにしてください。そういう事情も考慮して、「徳島エンゲル楽団」と表記して「徳島」を目立たせるようにしています。

Q 徳島エンゲル楽団のブログを書いている人は「カクさん」と名乗っていますが、徳島エンゲル楽団には「スケさん」や「ご老公」もいるという噂は本当ですか?
A 本当です。詳しいことを知りたい方は、入団すれば真相がわかるかもしれませんので、このホームページの「お問い合わせ」を使ってご連絡の上、入団手続きをしてください。

 

Q 大正時代の徳島エンゲル楽団はどんな曲を演奏していましたか?
A ドナウ川のさざなみ、荒城の月、美しき天然などを演奏していたそうです。他にも、美しく青きドナウやベートーベンの歓喜の歌も練習したということですが、昭和の戦争が近づくにつれて演奏活動が行われなくなり、さらに第二次世界大戦末期の徳島空襲で楽器も資料も失われたそうです。そのため、当時のエンゲル楽団に関することは、語り伝えられたものしかなく、詳しい情報が不足しています。もし当時の曲目などがわかる資料や伝え聞いた内容をご存知の方は、ぜひお知らせください。現代によみがえった徳島エンゲル楽団は、大正時代の徳島エンゲル楽団が演奏したとされる上記の曲を毎回演奏会に取り入れています。曲目の説明は、演奏曲目(暫定版)のページをご覧ください。

Q 大正時代の徳島エンゲル楽団のメンバーはどんな人たちだったのですか?
2011年3月6日の記事「徳島エンゲル楽団の歴史(5) メンバーはどんな人?」で少し紹介しましたのでご覧ください。その後の追加情報として、2012年11月17日の記事「大正時代の徳島エンゲル楽団メンバーについて」では、立木写真館で撮影された記念写真についても紹介しました。2012年11月現在、この写真に写っている人物の中で、エンゲル氏の左隣に座っている高木大尉らしき人物についての正確な情報が求められています。チンタオ・ドイツ兵俘虜研究会のメール会報も参照してください。


Q 現在の徳島エンゲル楽団は、どのような演奏活動をしていますか?
A 第1回エンゲル・松江記念市民音楽祭が開催されたのは2000年1月のことで、その後、毎年1回開催され、2011年3月27日に12回目の音楽祭2012年5月19日に13回目の音楽祭2013年6月23日に14回目の音楽祭が無事終了しました。2013年の第14回音楽祭では、世界的ヴァイオリニスト奥村智洋さんをソリストに迎え、徳島市で1916年に日本初演されたベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲をメインに、徳島大学交響楽団が加わり、充実した大編成のオーケストラで演奏しました。

その後、2014年は4月に徳島城博物館、12月に徳島大学常三島けやきホールで演奏会を開催しました。以後2015年、2016年にも11月に徳島大学けやきホールでエンゲル・松江記念市民音楽祭の開催を継続しています。

 上記の音楽祭のほかに、2007年秋には、徳島県で開催された国民文化祭(おどる国文祭)でも演奏会を開きました。また、鳴門市ドイツ館バルトの庭に招かれて演奏会を開いたこともあります。最近では、2011年4月17日にバルトの庭一周年記念イベントおよび10月23日に第2回バルトの庭演奏会2013年4月20日には徳島大学リーダークライスとのジョイントコンサートとして第3回バルトの庭演奏会を行いました。2017年4月9日には、板東俘虜収容所開所100年を記念して、鳴門市ドイツ館に招かれて演奏会を開催しました。

 次回のエンゲル・松江記念市民音楽祭は2017年10月末頃に開催予定で準備を始めようとしています。最新情報は、このホームページおよび徳島エンゲル楽団のブログでご確認ください。


Q 現在の徳島エンゲル楽団・合唱団のメンバーはどんな人たちですか?
A 第一次世界大戦当時の徳島および板東俘虜収容所で暮らしたドイツ兵俘虜と徳島の人々との交流の歴史を音楽を通して伝えるという趣旨に賛同した人の集まりです。徳島交響楽団などのアマチュアオーケストラや吹奏楽団、合唱団など、他の団体での活動を主にしている人もいます。 まず演奏会を計画して出演メンバーを募集する形をとってきたため、固定メンバーによる常設の楽団ではなく、いつも参加している人も、「団員」というよりも「常連」という方が近いような気がします。

 さまざまな団体に所属しているメンバーが個人的に参加する形をとっていますが、団体として共演して頂く場合もあります。女声合唱団フラウリッヒヴォカールは毎回賛助出演して頂き、エンゲル合唱団を強力に支えて頂いています。徳島男声合唱団「響」もこれまでに多大なご協力を頂いています。徳島大学交響楽団および徳島大学リーダークライスには、過去の演奏会で出演のほかに舞台裏の仕事などで協力して頂いてきました。徳島大学交響楽団は2013年6月23日のエンゲル・松江記念市民音楽祭で徳島エンゲル楽団と共演しました。徳島大学リーダークライスも、2013年4月20日の第3回バルトの庭演奏会およびエンゲル・松江記念市民音楽祭で共演しました。

 音楽監督・指揮者の岡山茂幸氏は、第1回から指揮ばかりでなく演奏曲の編曲もこなし、徳島エンゲル楽団を牽引しています。

 世界的バイオリニスト奥村智洋さんには、過去3回の演奏会でゲストコンサートマスターとして共演して頂きました。2013年6月23日には協奏曲のソリストとして参加して頂き、すばらしい演奏で聴衆を魅了しました。


Q 徳島エンゲル楽団には誰でも入団できますか?
A ドイツ兵俘虜との交流の歴史を再現演奏によって広く周知するという明確な目的を持った楽団なので、趣旨に賛同して協力していただける方を歓迎します。練習への参加・見学のお問い合わせは、このホームページの「お問い合わせ」からご連絡ください。

 

Q いつどこで練習していますか?
A 月2、3回、平日の夜に練習しています。時間帯は18時半頃から21時までです。仕事の都合などでなかなか参加できない人もいますが、なるべく多くのメンバーが参加できるように努力しています。過去には主に徳島市青少年交流プラザ(論田町中開)で、富田中学校(徳島市中昭和町)で練習していました。バルトの庭(鳴門市大麻町)で公開練習を行ったこともあります。2013年には共演の徳島大学交響楽団との合同練習を徳島大学常三島キャンパスで行いました。現在は徳島大学を主な練習会場にしています。日程は参加者に直接お知らせしています。見学をご希望の方はお問い合わせください。

Q なぜ毎回同じ曲を演奏するんですか?
A 徳島エンゲル楽団の演奏会は、徳島俘虜収容所および板東俘虜収容所のドイツ兵俘虜と徳島の人々との友好的な交流の歴史を伝えることを大きな目的としています。日独友好親善を歌う「友愛の花」、大正時代に徳島エンゲル楽団が演奏した「美しき天然」「荒城の月」「ドナウ川のさざなみ」、ハンゼン氏の徳島オーケストラが日本初演を行ったベートーベンの第九交響曲から「歓喜の歌」などは、どれも徳島エンゲル楽団にとって重要な意味を持つ曲です。今後も、これらの曲を中心として、ハンゼン氏の徳島オーケストラやエンゲルオーケストラなどのドイツ兵俘虜の楽団が演奏した曲などを加えた形での演奏会を行う予定です。これまでの演奏曲や今後演奏する予定の曲の簡単な説明は、演奏曲目(暫定版)のページをご覧ください。

Q「徳島オーケストラ」と「徳島交響楽団」と「とくしま記念オーケストラ」の違いは?
A 板東俘虜収容所ができる前、現在の徳島県庁付近に徳島俘虜収容所がありました。ここで200名ほどの俘虜の中で、ハンゼン氏の指揮によるオーケストラができました。そのきっかけは、ギターを注文したはずが、日本人の楽器商が間違ってチェロを持ってきたことだったそうです。楽器も楽譜もほとんどない状態から、わずかの期間にオーケストラが編成され、数々の演奏会を行いました。このドイツ兵俘虜の楽団が「徳島オーケストラ」で、板東収容所に移ってからもエンゲルオーケストラと競い合うように演奏会を開きました。板東でベートーベンの第九交響曲を日本初演したのは、この徳島オーケストラです。

 「徳島交響楽団」は、1971年に発足した現代のアマチュアオーケストラです。ハンゼンの徳島オーケストラによる第九の日本初演を記念して毎年6月第1日曜日に鳴門で開催される第九演奏会では、ほぼ毎回徳島交響楽団が鳴門市民を始めとする徳島県内の第九合唱団および全国から集まった第九合唱団のメンバーとともに演奏しています。

 「とくしま記念オーケストラ」は、全国初の二度目の開催となる第27回国民文化祭・とくしま2012を記念して2011年に設立されました。正式名称は「とくしま国民文化祭記念管弦楽団」です。「文化立県とくしま」の実現を一層加速させるため、世界的な指揮者秋山和慶氏を音楽監督に迎え、徳島に共感を持つ一流の音楽家によって編成されたオーケストラです。

 

 

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2012年3月8日

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